2018-04-06 第196回国会 衆議院 経済産業委員会 第5号
そして次に、安定成長期となります一九七〇年代初頭から八〇年代、これは実は石油ショックと円高ショックがございましたが、そのショックを受けた構造不況業種の構造転換対策、そして、産業全体としては、重厚長大から軽薄短小、あるいは知識集約型産業への構造転換を進めてまいりました。
そして次に、安定成長期となります一九七〇年代初頭から八〇年代、これは実は石油ショックと円高ショックがございましたが、そのショックを受けた構造不況業種の構造転換対策、そして、産業全体としては、重厚長大から軽薄短小、あるいは知識集約型産業への構造転換を進めてまいりました。
実は、私の出身組織で、これまでの過去の第一次オイルショック以降、何回もオイルショックや円高ショック、たくさんの不況期を経験してきたわけですが、その時代の経験と今回のこの雇用動向、違いがあるかどうかということについて少し検証をしてみますと、私はやっぱり顕著な違いが幾つかあるように思うわけです。
昭和四十八年の第一次石油危機、それから昭和六十年の円高ショック、それから平成九年の金融危機と、まさに日本の戦後の経済の中での十大ニュースにも記されるような大きな経済危機が起きております。恐らく、昨年来のリーマン・ショックに端を発します米国の金融危機、それに伴う世界的な経済危機もこの一つに加えられるだろうというふうに思っております。
戦後の平和な時期においても、二度の石油危機、円高ショック、あるいは阪神・淡路大震災を始めとする大災害など、経済と国民生活の根幹を揺るがす危機に見舞われました。しかしながら、先人たちはいずれの難局をも克服し、日本は今日まで発展を遂げてまいりました。 いつの時代においても、高い志を抱いて行動する人々が大きな役割を果たしています。
戦後の平和な時期においても、二度の石油危機、円高ショック、あるいは阪神・淡路大震災を初めとする大災害など、経済と国民生活の根幹を揺るがす危機に見舞われました。しかしながら、先人たちはいずれの難局をも克服し、日本は今日まで発展を遂げてまいりました。 いつの時代においても、高い志を抱いて行動する人々が大きな役割を果たしています。
二度の石油ショック、そして円高ショックと、我が国はこの三十年間、幾たびか、経済と国民生活の根幹を揺るがす危機に見舞われました。しかし、国を挙げて省エネ化を進めるとともに、企業においては、徹底した省力化投資と製品の高付加価値化による国際競争力の強化に取り組み、危機をばねにして、より強靭な経済社会をつくり上げてきました。 我が国は、構造的な停滞の中で、戦後初めてデフレという状況に直面しています。
二度の石油ショック、そして円高ショックと、我が国はこの三十年間、幾たびか、経済と国民生活の根幹を揺るがす危機に見舞われました。しかし、国を挙げて省エネ化を進めるとともに、企業においては、徹底した省力化投資と製品の高付加価値化による国際競争力の強化に取り組み、危機をばねにして、より強靱な経済社会をつくり上げてきました。
○証人(佐佐木吉之助君) 借入金、先ほども申しましたように、資産というものは、過去、オイルショック、円高ショック、このころにおいてもうちは既にいわゆるビル稼業をやっておりまして、お金がやっぱりなくなります。そうすると、その物件を売ることによって、こんなに崩落しておりませんからキャッシングできて、それによって借入金を返済するということができるわけなんですね。
第一次オイルショックが昭和四十八年、昭和五十三、四年に第二次、第三次はありませんでしたが、円高ショックになっていったというような推移を考えましても、やはりこのエネルギー問題というのは極めて重要なことである。
また第三次ということのオイルショックはないとしても、円高ショックというようなところでまた現在迎えているわけでございますが、多少こういう中において、我々は、経済のひずみというものの問題点の限界というものを、やはりある程度ここで見詰めたということは事実であろうと思うのです。
オイルショックがしばらく過ぎたら、実は円高ショックというのが襲ってまいりまして、この円高ショックのとき、先進自治体では資源ごみ分別という言葉をつくり出しまして、資源ごみという言葉が我々の耳に入ってくるようになりました。
しかし、第一次オイルショックがございまして、その後約五年の間隔で第二次オイルショック、それから円高ショックというふうなことで日本経済大変な苦労を十五年近くやらなければならないような状況に外的なショックによって立たされたわけでございまして、残念ながらこの間はほとんど総実労働時間の短縮が見られておりません。
現に、今回も料率の改定をお願いいたしておりますことにもあらわれておりますように、我が国の雇用情勢というのは、石油ショック、それから円高ショックで一時失業が出た、短期間ございましたけれども、これから基本的に労働力不足状況の中で推移していくとなると、単にこの制度を失業保険だけに限定しないで、もうちょっと幅の広い雇用保険といいますか、就業保険とかそういったことまでの展開をするべきじゃないかという御議論もございまして
日本でも敗戦ショック、円高ショック、ドル・ショック、汚染ショック、オイル・ショック、湾岸ショック、ソ連でもアルメニアの大地震、チェルノブイリの事故とかいろいろ、それはもう不可避的なことでございますが、問題はその危機をどういうふうに克服するか、その点で日本人は、災い転じて福となすというようなことで危機を見事に乗り越えるばねのようなものを持ってきた。
石油ショックだ、円高ショックだと、過去においていろいろなことがあるたびに、民間では徹底した合理化を行い、その苦しい中で企業は倒産を食いとめてきたのであります。また、国民が必死になって税金を納めているのに、高級官僚たちが特殊法人に天下りをして数年で何千万円という退職金を受け取っている、このような状況も一向に改善されていないではありませんか。
次のIMF暫定委員会や、六月のベネチア・サミットに向けて我が国がその責務を果たしていかねば、今回の合意そのものが根底から覆るばかりか、再び円高ショックに揺さぶられ、日本経済は大きな打撃を受けるとともに、国際社会における信用を一気に失うことになりかねないではないでしょうか。
ただ、設備投資はまさに円高ショックを受けて予想より下回っているわけでございますが、しかし政府支出につきましては、再度にわたる総合経済対策、特に昨年秋の補正予算に基づく公共事業の実行などを総合いたしますと、当初見通しの四・四%を多少下回るくらいの、まあ四・一、二%ぐらいで推移するのじゃないかと考えるわけでございますが、ただ、いわゆる海外要素がこれは急激な円高で大幅に狂いまして、輸出減、輸入が大幅に増と
そのため、貿易摩擦が激化する一方、急激な円高ショックが我が国を襲ってきました。こうした状況の中で、我々は円高対策の必要性を強く訴えてきたのであります。これに対し中曽根内閣は、一たんは円高対策を理由として、六月二日臨時国会を召集したにもかかわらず、その冒頭に解散に打って出るという暴挙を行い、そのために、本格的円高対策は今日まで行われず、政策転換の決定的なおくれを招いたものであります。
そのため、貿易摩擦が激化する一方、急激な円高ショックが我が国を襲ってきました。こうした状況の中で、我々は円高対策の必要性を強く訴えてきたのであります。これに対し、中曽根内閣は、一たんは円高対策を理由として六月二日臨時国会を召集したにもかかわらず、その冒頭に解散に打って出るという暴挙を行い、そのために本格的円高対策は今日まで行われず、政策転換の決定的おくれを招いたものであります。
○米沢委員 時間が参りましたのでこれでやめたいと思いますが、私は、円高という現象は、今までも石油ショックだとかニクソン・ショックだとかいろいろありましたけれども、まさに円高ショックと言われるほどに画期的に我々が今住んでおる環境ががらっと変わったと見なければならぬだろうと思いますね。